多摩の横山 ■宇遅部黒女■ 

〜「多摩の文学散歩」(佐々木和子著/けやき出版刊)より転載〜

   今から1200年余り昔、東国の男たちは大和朝廷の命を受け、防人(さきもり)として 遠い北九州の地へ出かけて行きました。新幹線がある世の中ではありません。妻子と 別れ、幾日も幾十日も辛い旅をして大阪の難波に集まり、そこから舟で大宰府へ向かった ということです。
荒虫と黒女    そのころ、武蔵国豊島郡に、宇遅部黒女(うじべのくろめ)という女性が住んでいました。 ある日、彼女の夫、椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)も、防人として召されることに なりました。黒女は、あとに残される寂しさより、辛い旅をしなければならない夫の身を 案じて、心が痛みました。
   「そうだ、せめて、あの馬に乗って行ってもらいましょう」
   たった一頭しかいない馬を旅に出せば、彼女は夫の留守を女手ひとつで農作業をしなければ ならなくなります。でも、山を越え谷を渡って遠くへ行かなくてはならない夫には、どうしても馬に乗って 行ってもらわなければ・・・。
   ところが、いよいよ出発の朝、腹いっぱい草を食べさせてやろうと馬小屋から引き出したのが 裏目に出たのです。いつもは家のまわりで草を食べている馬が、手綱をつけたまま、どこかへ逃げて行ってしまい ました。
   「アカよお−−−」
   半分泣き声でよびながら探しまわりましたが、あたりは一面のすすき原。馬の姿などどこにも 見当たりません。
   「いいよ、いいよ。わしは歩いて行くから。もう出かけないと、多摩の横山を越えるのが夜に なってしまう。それより、留守をしっかり頼んだよ」
   別れのことばをのべて、夫は、すすきの中の細い道をふみわけながら、どんどん遠ざかって 行きました。
   黒女は、その後ろ姿を見つめながら、悲しくなってうたいました。

   赤駒を山野に放(はか)し捕りかにて多磨の横山徒(かし)ゆか遣らむ
      (万葉集巻二十)

お〜い、赤駒よ〜お

   「徒ゆか遣らむ」とは、「歩いて行かせねばならないのか」という意味です。「放し」「捕り かにて」など、東国なまり そのままで うたった この歌からは、黒女の深い嘆きがじかに伝わってくるように 思われます。

<以下、省略>

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